マウスコンピューターの波乱万丈の歴史を探る
さて、㈱マウスコンピューター(本社:東京都千代田区)
の歴史をひも解いてみることにしましょう。
同社はその社名から外資系の企業と思われがちですが、
実は19歳の少年が立ち上げた、生粋の日本の会社です。
■BTOトップメーカーの前身は衣料品店?
事の発端は、Windows95から始まる空前のPCブーム前夜の
1993年4月。1軒の衣料品店から始まります。
その頃の日本では、DOS/V(ドスブイ)のパソコンが主流。
オーダーメイドのBTOパソコンを販売していました。
※DOS/V:1990年に日本IBMが発表したパソコン用のOSの
通称。PC/AT互換機上で稼働し、専用のハードウェアが
不要で、ソフトウェアだけで日本語表示を可能にしました。
当時19歳だった髙島勇二氏は、このブームに便乗して、
経営危機に瀕していた3代続く「高島屋衣類店」の再建ため、
通販による自作パソコンの製造販売を始めたことがきっかけ。
95年にWin 95が発売されると、パソコンブームに火がつき、
猫も杓子もパソコンの時代?一大センセーショナルに。、
大手家電メーカーもこぞってPC市場に乗り出します。
大手とは一線を画した、コスパを重視しら髙製のパソコンは
個人だけでなく、その特性から企業や大学など法人関係からも
絶大な支持を仰ぎ、時代の寵児ともてはやされるように。
日経トレンディの番付にも登場するなど、知名度は瞬く間に
全国区に。BTOパソコンの先駆けとなった同社の勢いは、
依然衰えず、一気に売り上げを拡大していきます。
■社名の由来は人とパソコンの橋渡し
社名を有限会社タカシマに変えたのがちょうどそのころ。
衣料品店を廃業し、パソコンの受注製造・販売業に専念。
不眠無休でPCの組立や顧客対応に追われる日々が続きます。
98年には株式会社化し,マウスコンピュータージャパンに改称。
社名の由来はマウスのように「人とパソコンの橋渡しとして
役立っていける存在でありたい」という願いを込めて命名。
しかし、その後の組織変更によって社名は一時的に消滅、
同社のPCブランドとして使用されるようになりました。
■拡大路線により2006年に売上1,000億突破
その間、存続会社であるMCJは上場して資金を調達し、
これらにより大幅な部品調達コスト削減と販路拡大を実現。
直販店舗も一気に展開し、企業グループを形成することに。
その後、大手家電メーカーのPC販売が低迷する一方で、
BTOメーカーとして業績を伸ばし、2004年は売上約108億円、
出荷台数の成長率は144.4%に達しました。
2006年にPC事業を分社化してマウスコンピューターを再設立。
翌年、TOW TOPやパソコン工房等の親会社ユニットコムを買収。
グループの売上はついに1,000億円を突破しました。
■本業に専念した堅実経営
しかし国内のパソコン市場は2005年をピークに減少に転じ、
iiyamaの倒産や日立のデスクトップPCからの撤退などが続く。
更にソニーのパソコン事業からの撤退、NEC、富士通、東芝や、
米国・ヒューレット・パッカードなど名だたる大企業ですら、
パソコン事業. は赤字といわれる冬の時代に。
ココでマウスはそのiiyamaを合併。生産・物流拠点を統廃合し、
大半を外部委託していた製造を自社製造にシフトすることに成功。
大幅なコストダウンを実現することが出来ます。
2010年代に入るとネットブックのような新種のPCが台頭すると、
コレにいち早く着目して新規ユーザーの開拓を進めるなど、
本業に注力し、堅実な経営を続けています。